大変な目に遭いました。

今回、人生初めてと言える病気にかかり、シルバーウィークから二日空けただけでまたまた長期休暇を取ることになってしまいました。
最初は、熱い物を食べたことで喉をやけどしただけでしたが、それが最後には想像もしない病気(肺炎->自然気胸)になってしまうとは思いもしませんでした。

そして丁度この10月から年末にかけては今年度中に行う仕事のピークを迎えるときで、一年のうちでももっとも忙しい時期なので、精神的に仕事と病気の板挟みで大変でした。
でも、なんとか仕事の方は調整もでき、療養に専念することができました。

ただこの病気は、とても再発の可能性が高いようで色々と悩むこともありましたが、意外と私、悩む割にはお気楽な性格のためそしておかあちゃまの支えもあったので、なんとか今では消化をすることができました。

またこの病気のお陰で、自分のこれからのスタンスも見つめ直すことも出来たので、良かったのでは、と思っています。

お友達の皆様には大変ご迷惑、ご心配をおかけしましたことを、ブログの上ですがお詫び申し上げます。
そして、おかあちゃまにも励ましのお言葉を頂き、ありがとうございました。

続きは、その闘病日記?についてザザーッと書いてみましたがとても長いので、ご興味があれば見てください。


事の始まりは、9月27日(日)のお昼ご飯にカツ丼を食べたことからでした。

最初はカツが熱いと思って食べていると、ご飯が異様に熱いことに気づき、でも気づいた頃にはもう既に喉はジワジワと変な感覚になっていました。
まあすぐにでも治るだろうと思い、そのままその日は気にしないよう過ごしました。

でも翌日の9月28日(月)。

会社へ向かう途中の電車で貧血を起こし、途中下車。
喉のあたりのモヤモヤ感が昨日よりも気になり、このことが貧血の原因なのかと考えながら次第に貧血も良くなってきたので次の電車で会社へ向いました。
会社へ着くと、貧血も治まりその代わりに段々と喉のモヤモヤ感がひどくなり、昼ご飯を食べることもできずにお昼休みはそのまま会社でのんびりと過ごしていました。
そして暫くするとまたまた急に貧血を起こし、これはただ事ではないと慌てて会社のビル内にある病院へ診察を受けに行きました。
耳鼻咽喉科で診てもらうと、やはり喉のあたりがただれて炎症を起こしており、1週間ほど炎症剤を飲めば治ると言うことで、薬を頂き治療をすることになりました。
それで気持ちも落ち着いたのか、なんとかそれ以降は貧血を起こすことなく一日を過ごすことができました。

そして次の日の9月29日(火)。

この日は朝から体調が悪く、軽く立ちくらみを起こしたりと、一日がとても長く感じた日でした。
自宅へ帰り熱を測ると珍しく39度近くもあり、体調の悪さはこの熱からだとわかりました。
でも明日は取引先の方との打ち合わせもあるために、お休みすることができないので、なんとか午前中は会社に出て午後から会社のビル内にある病院で診てもらい、それからその後の判断をすることにしようと、早めに寝て少しでも体調を整えておくことにしました。

9月30日(水)。

朝体温を測ると37.2度で体の節々の痛みもなく、これなら会社へ行けるだろうと言うことで自宅を出て駅へ向かうと、自宅を出てから20メートルもしないうちに、なぜか呼吸ができなくなり、もうそこから一歩も進めない状態になってしまいました。
少し無理すれば大丈夫かと思っても息ができなくて、これから駅まで行き、そして電車に乗り、乗り換え、会社へ、ということを考えるととても行ける状態ではなく、そのまま自宅へ戻ることにしました。
でも自宅へ戻るのもとても辛くて、なんとか頑張って自宅まで戻り、病院の空く時間まで寝て休養していることにしました。
そして9時過ぎて、会社へ連絡してから病院へ行きました。
病院で今までの経緯を話し、下痢嘔吐はしていないけどインフルエンザの可能性もあるのでその検査をお願いすると、インフルエンザの検査と胸のレントゲンを撮ることになりました。
検査の結果、インフルエンザは陰性で問題はなかったのですが、胸のレントゲンで右肺の下部に初期の肺炎が見つかり、これならば入院をすることなく通院で点滴と投薬で1週間ほどで完治するとの診断を頂きました。
また喉のやけどとこの肺炎は関連性はないとのことで、疲れやストレスから肺炎になったのではと言われました。
そして息も切れ切れ自宅へ帰り、会社へ連絡を行い、ゆっくりと休養するために横になろうとしたら、右胸の下に激痛が走り、暫く痛みが引くまで息もできない状態になってしまいました。
そして痛みが引いても寝返りを打つたびに同じような激痛で、そして起きるときにも同じような激痛が走りました。
結局その日は、その痛みに耐えながら一日寝ていることにしました。

そして10月1日、2日、3日と病院へ通い、痛みは少しずつ良くなってきていたけども、歩くのに以前よりも息が切れることを感じ、先生にその旨を伝えるも良くなっているので大丈夫とのことで、不安になりながらも肺炎になると普通の状態に戻るのがとても大変なんだと自分自身を納得させていました。
来週の10月5日(月)にレントゲンを撮り、問題がなければ治療終了と言われていたのですが、このままじゃ会社に行くことも出来ないので、少しでも歩けるようにと土日は無理をしない程度にお出かけをして、少しの距離をお散歩することにしました。
でも後で考えてみると、この時点で今回最大の病気の気胸は始まっていたのだろうと思いました。

10月5日(月)

レントゲンを撮り診察をしてもらうと、肺炎は完治をしたとのことでした。
でも別の病気が見つかり、その病名は「自然気胸」といい、肺に穴が開き肺の空気が肺の周りにある肺腔と呼ばれる部分に溜まり、その肺腔は肋骨でそれ以上にふくらむことが出来ないため、肺腔にたまった空気で肺が圧迫され縮んでしまう病気でした。
先生からレントゲンを見ながら、右肺は拳以下の大きさになっているので急いで肺腔内の空気を抜かなければ大事に至るとの説明をされました。
このとき見せてもらったレントゲンは、素人目にもわかるくらい左右の肺の色が異なり、右肺の色は真っ黒でした。(その真っ黒な部分が肺から漏れた空気でした)
そして肝心の処置については、ここの病院では外科は行っていないので、処置の出来る病院を紹介していただくことになりました。
最後に先生からの説明では、処置をするといってもそれほど大事ではなく、日帰りもしくは一日入院すれば大丈夫なものだからと言われていたので、紹介された病院へ向かう途中でおかあちゃまにも簡単に済むような話をして、息切れ切れに紹介された病院へと向かいました。
そして病院へ着くと意外にも大きな病院だったのでびっくりしながらも受付を済ませると、保険証を忘れたことに気づき、再度おかあちゃまに連絡をし保険証を持ってきてもらうことにして診察の順番を待っていました。
そしておかあちゃまが保険証を持ってきてくれて暫くすると診察室へ呼ばれ、看護師さんに血圧、体温、血中酸素濃度などを測定してもらいながらこの病気について説明を受けると、思っていたよりも大変な病気で、ここまで歩いてきたこと自体も大変で危険なことであると知らされました。
そしてCTやレントゲンなどを撮ってから先生の説明を受けると、処置については肺腔内に管を通し特殊な装置で空気を抜き、その後安定したらその管を止めて肺が縮まないことを確認してからその管を抜き、その後一日様子を見てから退院ができ、この間最低でも4〜5日はかかります、とのお話でした。
この話をおかあちゃまにもすると大変びっくりして、それもそのはず、前の病院では日帰りもしくは一日入院と言われていて気楽に考えていたのですからね。
でも何を言っても仕方ない、とにかく処置をしてもらわないことには治らないので、お願いすることにして処置を待ちました。
そして処置自体は脇の部分の肋骨の間に穴を開け、その部分から太さ15mmくらいある管を通し肺腔に穴を開け、そしてその管の先に小さい特殊な装置をつけ肺腔内の空気を抜くという手術と言うほどの処置ではないようでした。
そして手術室は使用されていたため急遽レントゲン室で処置を行うことになり、局所麻酔を打つことになりました。
その局所麻酔は穴を開ける脇の部分に打たれたのですが、この麻酔がとても痛いです。
そして次にはその管を肺腔内へ通すときも、、、とても痛かったです。
管が通るときには胸のあたりから「ボン!」という音がして、いかにも膨らんだ風船に管を指したような音がしました。
そして処置が終わり、車いすに乗せてもらうために起き上がると、肺腔内に入っている管が背中に突き刺さっているような激痛が走りました。
あまりの痛さで少し貧血を起こしながらも車いすに乗せられて、痛みに耐えながら先生の待つ診察室へ向かいました。
そして先生から色々と質問をされたり説明を受けていると次第に気持ち悪さがピークを迎え、気づくとその診察室のベッドの上に横になっていました。
おかあちゃまは、その診察室のすぐ目の前の待合い場所にいたのでそのときの状態を教えてくれてましたが、私が「グハッ!」とか奇声を上げたかと思ったら、先生や看護師さんの「○○さん、大丈夫ですか」との声が聞こえ、バタバタとする診察室内の様子を待合い場所から不安に見ていたようです。
そのときの私は、先生との話も嫌なくらい気持ち悪かったと思っていたら急になんかわからない夢を見始め、そして気づいたときにはベッドの上で血圧計のような機械の表示が40を指しているのが見え、そのぼーっとする意識の中で水でもかぶったかのような汗を感じながら次第に増えていくその数値をぼんやりと眺めていました。
そして移動用のベッドに移され、暫く落ち着いてから入院のためのベッドへと移動をしました。
その日は痛み止めの点滴もされていたこともあり、それほど強い痛みを感じることもなく、長い一日が終わりました。

10月7日(水)

この日は、やっとベッドから解放され歩くことが許可されました。
でも点滴と肺腔内の空気を抜くための装置が一緒でなければならなく、少し歩いてみましたが大変でした。
そして寝て起きてをすると、肺腔内の管の位置がずれることもあり、寝る際には胸の上あたりに当たる感覚があり、少しの痛みと違和感がありました。
でもこの違和感も日にちがたつにつれ次第に少なくなり、そして胸の苦しさも無くなってきました。

当初の予定では4〜5日の入院だったので、そろそろ管を止めて問題ないかを試す頃だったのですが、病状は悪くなくても病院側の都合などで予定通りには進まず、結局肺が正常に戻っているかの確認と管を止める処置は、土曜となってしまいました。

10月10日(土)

午前中にレントゲンを撮り、その結果肺も正常な大きさに戻っているので、管を止めて様子を見ることになりました。
これで2日ほど様子を見て問題がなければ無事管を抜くことができ、その後一日ほど様子を見て退院、ということなのですが、この後3連休になるので一番最短で退院ができるのは、週明けの水曜日、ということなってしまいました。
そして先生や看護師さんからも、「苦しくなったらすぐに教えてください」と言われていたけれど、この病気を発症して一番苦しかった時でもあまり動かなければ苦しさを我慢できたので、苦しい状態の判断ができなくて、不安な3連休になりました。
普段から傷の痛みなどもあったのですが、管を止めている、ということで心理的にも余計プレッシャーがかかり、以前よりも痛みが多かったり苦しかったりと感じることが多く、本当に不安な3連休でした。
でもそんな不安な中、おかあちゃまがある賭けを提案してくれて、そのお陰もあり、なんとか無事連休を過ごすことができました。

10月13日(火)

やっと待ちに待った検査結果の日がきました。
朝、看護師さんが迎えに来てくれて、そのままレントゲン室へ向かいました。
朝起きた時には体調もそれほど良くなくて不安ばかりが募っていましたが、レントゲンを撮り部屋に戻ると、なんだかとても気持ちがすっきりとして、それまで悪いと思っていた体調も少しずつ気にならない程度になってきました。
体調も良くなってくると不思議に気持ちの中で、「大丈夫!」という気持ちが大きくなってきて、今までの不安が少しずつ無くなってきて、本当に心理的なものが大きかったのだなぁ〜と実感しました。
本来なら院長先生の回診は午後なのですが、午前中に回診に来ていただき、
「○○さん、検査の結果、問題ないので今日管を抜きましょう、そして今日一日入院して問題がなければ退院ということで。」
この言葉を聞いた瞬間、ガッツポーズをしてしまいました。
そして同室にいた方たちからも、たくさんのお祝いの言葉を頂きました。(ありがとうございました)
そして午後の回診で管を抜いていただき、普通の生活に戻れる喜びをかみしめた一日でした。

10月14日(水)

やっと待ちに待った退院。
この病院から自宅まで徒歩で20分程度。
この道を途中何度か休憩をしながら、ゆっくりとおかあちゃまと歩いて自宅へ向かい、やっとこさ自宅へ到着。
待ちに待ったわが娘たちとの再会です。
それぞれがそれぞれの喜び方でお出迎えをしてくれました。

やっぱりお家が一番、そして健康も一番ですね。

その後、自宅へ帰って気分的にも落ち着いたのか、病院へいるときの不安など少しずつ無くなり、現在では駅まで休憩なしで歩けるほどになりました。
そして明日は、抜糸(抜ホッチキス?)です。
これでやっと普通の男の子(・・・)に戻れます。

以上、長い文章にお付き合いしていただき、ありがとうございました。
これにて、闘病日記?は終了とさせていただきます。

つくわらこニュース

ロングコートチワワのつくしとわらびとこごみ、そして一緒に暮らすおとうちゃま、おかあちゃまとの様々な情報新聞。

0コメント

  • 1000 / 1000