1と自己以外で割り切ることが出来ない素数は、中国の儒教では非常に重要な数として位置づけらえれていることから、1と3、そして7が使われ、1年目を1周忌、2年目を三回忌、その後は、3と7の数で七回忌、十三回忌と五十回忌まで続きます。
これには色々な説があるようですが、大きな法要としてはこの流れのようです。
そしてそれ以外の毎年の亡くなった忌日は、祥月命日と言われています。
今日はこごみの3回目の祥月命日です。
3年前、2017年の今日、こごみは亡くなりました。
その日のことは、今でもはっきりと覚えています。
色々なことで患っていたこごみですが、つくしの心臓の薬を変えた時から咳が多く出るようになったので、つくしと同じ心臓の薬を飲み始めました。
その後、つくしが肺水腫を起こし、その原因が変えた薬のせいではないかと、そしてこごみの咳も良くなることなくそして動けなくなることも多くなり、つくしと同じように薬が原因なのではと疑い出しました。
つくしの入院からの担当となった先生と、こごみに心臓の薬を薦めてくれた先生は別の先生だったので、つくしの担当の先生に、こごみの薬を見直してもらえないかとお願いをしていました。
そしてセカンド(ファースト?)オピニオンとして、その昔からつくわらこを診てもらっていた別の病院の先生にもこごみを診ていただき、薬の問題ではないとのお答えを頂いておりました。
でも咳は治ることなくだったので、つくしの担当の先生にお願いしていた検査をきちんとしていただくことになり、ドキドキしながらも検査当日を迎えることになりました。
この検査で、こごみはきっと良くなる、と思っていましたが、検査中にいつものように呼吸が荒くなり、落ち着かせるためにと打っていただいた注射も、そして酸素を吸引しながら待合室で暫くの間待っていたけれど呼吸は落ち着かず、場所を変えてお家へ帰って様子を見ようと先生にお伝えして外に出ると、つくしと同じように急に呼吸が出来なくなり、慌てて病院へ戻るとそのまま処置室へと連れて行かれ、次に呼ばれた時には、もう戻ってこない、こごみの姿がありました。
余計な検査などしなければ、そして注射などしなければ、色々なことが、今でも後悔として残っています。
そして今思うと、こごみの亡くなるまでのその時は、その後に亡くなったつくしのその時と、まるで一緒の状況でした。
最後に、2日前のみんなののんびりした様子と、以前もアップしたこごみのメモリアルムービーをアップします。
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