昨日はわらびの四十九日でした。
朝から雨降りで、時折強く降ったりと、1日雨でした。
出来れば、ばばたちを連れてお食事でもと思っていましたが、この雨なのでまた次回ということにしました。
きっとわらびは、家族だけでこの日を迎えたかったのかと、勝手ながら思いました。
わらびは、私たち以外にはあまり馴染まず、なんとかばばや智ちゃん、紀ちゃんには私たちのどちらかがいれば大丈夫ですが、どちらもいないと玄関先で私たちの帰りをずーっと待っているくらい、私たち以外には心を許すことがない子でした。
そしてわらびは会社帰りの私を毎日待ちわびてくれていて、その姿には毎回元気と癒しをもらっていました。
この一年間も、つくしのためにひとりでお留守番をしてくれて、出先から留守番モニターを見ると、今か今かと私たちの帰りを待ちわびて、私たちが帰るとその嬉しさを体全体で表現してくれました。
たまに行くお散歩もとても喜んでくれて、元々お散歩嫌いおうち大好きで、つくしが一緒じゃないと歩かない、と言った筋金入りのお散歩嫌いでしたが、みんなで楽しめる少ない時間の中でのわらびにとってはとても大切な時間だったのでしょうね。
わらびには何もできないまま、旅立たせてしまいました。
わらびは、MRIの検査後の脳脊髄液採取の前に心臓が止まり亡くなりました。
健康な子が全身麻酔で亡くなる確率は0.1%以下、事前の説明でも伝えられていました。
もし脳脊髄液検査を行わなければ、MRI検査を行わなければ、もし別の日で、別の病院だったら、後悔は今でも残ります。
きっとわらびはお家へ帰りたかった、大好きなお家へ早く帰りたかった。
そしてあわてんぼうだから、検査が終わったと思っていち早くお家へ帰ってしまったのかも知れません。
たまに足音や息遣い、そして寝息が聞こえることもありましたが、決してその姿を見せてくれることはありませんでした。
四十九日は、あの世に旅立つ最後の審判の日とも言われています。
もしかすると、これでわらびを感じられなくなるのかも知れません。
寂しいことですが、でもそれはきっとわらびが楽しく過ごせていることなのだから、喜ぶべきことなのでしょうね。
つくしは1週間前には不調になり、もしかするとわらびが連れて行こうと思っているかと本気で思いましたが、今は本当にまた元気になり、何か食べさせろ、外に出る、とうるさいくらいの毎日になりました。
こごみは食べる力と生きる力を分けてくれて、そしてわらびは歩く力、そして食べる、生きる力を分けてくれて、今のつくしがあるのだろうと思っています。
わらび、みんなで元気に頑張るから、つくしは簡単にはそちらに行かせないから、もうしばらく私たちのことを見守ってくださいね。
こごみもよもぎもお願いね。
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